信用創造の額について
大西つねきの週刊動画コラムvol.7_ 2017.12.25
お金の発行のしくみ
https://www.youtube.com/watch?v=WrKgQu4gUjQ
Bが 100万円をM銀行に預けたとき、
日銀当座預金の準備率を1%とすると、
M銀行は 1万円(100万×0.01=1万)を日銀に当座預金として預け、
99万円(100万ー1万)を Cに融資することができる。
こうして、市中には 流通するお金は199万円となる。
以下、同じようにして、 ↑ 100万+99万
Cは M銀行から融資された99万円を L銀行に送金すると、
L銀行は 日銀に当座預金9900円(99万×0.01=9900円)を預け、
Dに 980100円(99万ー9900=980100円)を融資することができる。
以下、同様にして、
M銀行に預金された100万円で、市中に流通させられるお金の
額はいくらか?
つまり、いくらの額が信用創造されえるか?
――大西つねき氏は これを 100万÷0.01=1億円 と計算した。
↑
100万
0.01
★ ★ ★ ★ ★
なぜ、こういう計算が成り立つか? を調べてみる。
今 X円をM銀行に預けたとし、当座預金準備率をa%とすると、
https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/
M銀行は 日銀に当座預金 X×0.0a円を預け、X(1-0.0a)円を
融資できる。
この融資時点では 市中のお金は、
X+X(1-0.0a) 円
となっている。
さらに、X(1-0.0a)円を M銀行から送金されたL銀行は、
日銀に 当座預金 X(1-0.0a)×0.0a円を預けて、
X(1-0.0a)^2 円
※ X(1-0.0a)ーX(1-0.0a)×0.0a=X(1-0.0a)×(1-0.0a)
を他に融資でき、この時 市中には
X+X(1-0.0a)+X(1-0.0a)^2 円
のお金が流通していることになる。
以下、同様にして
X+X(1-0.0a)+X(1-0.0a)^2+X(1-0.0a)^3
・・・+X(1-0.0a)^n-1
これが n番目の銀行が融資したのちに 市中に流通するお金の額である。
この等比級数を計算すると、
X-X(1-0.0a)^n
0.0a
となり、n → ∞ で、 X(1-0.0a)^n → 0 だから、
X-X(1-0.0a)^n → X
0.0a 0.0a
となるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=MQJQUlPsaYA
ドイツ銀行大リストラ、いまどきの「銀行と金融」の致命的弱点
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66577 小出 フィッシャー 美奈
2019 8.19
7月初旬、経営再建の途中にあるドイツ銀行が、投資銀行部門を中心とした1万8000人という大規模なリストラを発表した。かつては「欧州最強」とうたわれ、リスクをとることに慎重だった名門銀行は、いかに変節し、この大きな転換点を迎えたのか。
「ふつうの銀行」に戻るため、1万8000人リストラ
あなたが働くオフィスで、ある朝、2割の同僚が突然解雇を言い渡される場面を想像していただきたい。
ドイツ銀行がフルタイム従業員の2割超に相当する1万8000人の解雇を発表した先月初め、ロンドン でも ニューヨーク でも香港でも、にわかに解雇を告げられた人々が慌ただしく同僚に別れを告げ、次々とオフィスを後にした。
ドアから出てくる人の中には、離職手当の書類が入った封筒を片手に誰かに携帯で連絡する人や、鉢植えを大事そうに持ち帰る人の姿も見られた。
筆者は外資系金融機関に勤めたことがあり、過去に同様の光景を幾度か目にしている。今でもこうしたニュースに接するとチクリとした 痛みが胸を刺す。
ドイツ銀行はこのリストラで、「投資銀行」業務を大幅に縮小し、 本来の金融事業への回帰を目指すという。なぜ今、「ふつうの銀行」に戻ろうとしているのか
まず「ふつうの銀行」と「投資銀行」の 違いは何か。その本質的な違いはリスクに対する姿勢だ。
「ふつうの銀行」、すなわち商業銀行(コマーシャルバンク)の業務は、預金や送金、融資・貸付などである。
あなたが銀行に預金すると、銀行はそれを第三者に貸し付けたり債券などで運用し、その利回りと支払い利息の差(預貸利ざや)を稼ぐ。
もともと預金者のお金ではあるが、銀行は利子を払ってそのお金を 調達している。
バランスシートの負債として自行の帳簿に載せ、いわば「自分のマネー」として自分でリスクを取って第三者に貸し出したり投資をしているのだ。
このため、まず預金残高を大きく超えるような資金は動かしにくい。
また預金はいつ引き出されるか分からないという比較的短期のお金だが、融資の方は手元に戻ってくるのに時間がかかる比較的長期のお金だという回収期間の差(デュレーションギャップ)のジレンマもある。
こうしたことから、「ふつうの銀行」は、基本的にはリスクに対する意識が高くならざるを得ない。
「トレーディング文化」に染まった投資銀行
一方、「投資銀行」の仕事は資金を必要とする顧客の手伝いをすることであり、預金に頼らず資金を動かす。
例えば、企業の債券・株式の発行や販売のサポートなどがそれで、サービスの種類や規模に応じて手数料を稼ぐ。
つまり、本来の投資銀行は資金の需要家と投資家をマッチングさせる仲介業(ブローカー)なのだ。もともと個人向けではないが、証券業でもある。
仲介モデルでは、資金を調達するのは顧客企業で、リスクを取るのは投資家だ。
取り扱うお金は、素通りする「他人のマネー」である。他人のマネーはバランスシートに載せる必要もないし、自分でリスクを取る必要もない。
このもともとの事業モデルの違いが、「ふつうの銀行」に比べると リスクに無頓着になりがちな投資銀行の企業文化の根底にある。
一方で、預金の束縛がない投資銀行の強みは、スケールの大きなマネーを迅速に動かせることだ。
歴史的に欧州の「マーチャントバンク」や米国の「インベストメントバンク」などの投資銀行が台頭したのは、産業革命以降のこと。
鉄道を始めとする ビッグ・プロジェクト が次々と持ち上がり、ちまちました地方銀行の預金を当てにしていたのでは追いつかないような大きな資金需要が生まれた時代と重なる。
でも仲介業者だから、もともと手元に大きな資金はない。どうやって顧客を掴むのかというと、その武器は、情報と頭脳だ。
グローバル投資銀行には金融市場や産業に精通したバンカー達が、 顧客企業に債券や株式の発行やM&A(企業合併・買収)などの アドバイス を行っている。筆者が個人的に出会ったバンカーの顔を思い浮かべても、極めて優秀で仕事のできる人が多い。
しかし、もともと「仲介業」として顧客サービスが基本だったはずの投資銀行は、レーガノミックス による金融緩和と自由化の波が押し寄せた 80年代から変質していく。
商業銀行と投資銀行の分離を定めた「グラス・スティーガル法」が 骨抜きになっていくのもこの頃だ。
金融市場が拡大し競争も規制も厳しくなっていく中で、それまでの パートナー経営から株式を公開し、規模を拡大する投資銀行が相次いだ。なかでも新しい金融商品のトレード に強いプレーヤー が大きくなり、 そうでないところは脱落していった。
やがて投資銀行は顧客の取引だけでなく、株式公開などで潤沢になった自己資金で自らのためのトレード(自己勘定取引)を積極的に行うようになり、トレード利益が全社利益の多くを占めるようになる。
スター・トレーダー が生まれ、彼らが社内で発言力を持つにつれ、より大きな利益のためにより大きなリスクを取りに行く「トレーディングの文化」がウォール街で幅を効かせるようになっていった。
それを象徴したのが、80年代の「ジャンク債」だ。
ジャンク、すなわちガラクタと呼ばれたのは、銀行から融資してもらえないような倒産リスクの高い企業が発行する債券だからだ。リスクは高いがその分利回りも高いので、企業の業績がうまく回復すると 大きな投資利益が上がる。
ジャンク債を複数組み合わせて、投信のようなパッケージ商品にして売ることを考案したのが、「ジャンク債の帝王」と呼ばれたドレクセル・バーナムのマイケル・ミルケンだった。
ジャンク債市場は 1986年に400億ドルを超え、その最大の貢献者ミルケンはピークの年に5億5000ドルの報酬を手にする。日本円でざっと600億円という信じ難い額だ。
ジャンク債は、ピケンズやアイカーンなどの「乗っ取り屋」らが大企業に敵対的買収をかけるのに使った手法、LBO(レバレージ・バイアウト=買収者が買収先企業の資産を担保に資金を調達する手法)にも多用され、ドレクセルなどに追加的なビジネスをもたらした。
しかし、ミルケンらの グループは、会社の リスク管理が効かないまま、暴走していく。
その極めつけは、ミルケンらが会社に隠れて自分達だけの共同出資会社を設立していたことだった。
彼らは顧客のための取引から得られる豊富な市場情報をもとに自らに利益を誘導するトレードを行なっていた。顧客も会社も裏切っていたのだ。
それがインサイダー取引でのミルケンの逮捕とドレクセルの崩壊にもつながっていった。
ドイツ銀はなぜ変わったのか?
この ギラギラ した 80年代の ウォール街を横目で眺めていたのが、ドイツ銀行だ。
日本でも一般に銀行にはお固いイメージがあるが、ドイツの歴史と ともに国策を支えてきたドイツ銀行は、まさに名門。
もともとは伝統を重んじ、リスクには慎重な銀行だった。経営陣も ドイツ人なら社内もドイツ語で、カルチャーは「純ドメ」だったという。
それがどう変わっていったのかーードイツの有力誌「シュピーゲル」は、その変化を詳細に追跡している。
それによると、行内の グローバル 化推進派だったヒルマール・コッパー氏が頭取になり、94年に「国際的な投資銀行を目指す」と宣言したことが大きな転換点だった。
英米に追いつくための人材が足らず、多額の資金を投じてリソースを買い集めた。
1989年の英国モルガン・グレンフェルドに続き、1998年には全米8位のバンカーズトラストを買収。国際的な投資銀行部門は、メリルリンチから引き抜いたグループが中心となって立ち上げた。
彼ら外来のバンカーたちは、デリバティブ(株や債券などの価格変動を元にした金融派生商品)など最新の金融商品を取り揃えるとともに自己勘定でもトレードを行い、莫大な利益をあげた。
2000年代にはドイツ銀行の デリバティブ 取引額は世界4位に成長し、頭取より高い報酬を手にするスター・トレーダーも現れた。
2002年に外来組のジョセフ・アッカーマン氏が、非ドイツ人(スイス人)として初めて頭取となると、取締役会の合意に基づく従来の経営スタイルから「スターCEO」が権限を握る米国型経営(過去記事<最大5000倍!社長と従業員の「報酬格差 」が止まらないカラクリ>を参照されたい)へと舵を切った。ドイツ銀のウォール街型投資銀行への転身が完了したのだ。
しかし、ニューヨークやロンドンのトレーダーが貪欲に利益を追求する間に、フランクフルト本店によるリスク・コントロールは効かなくなっていった。
それはリーマンショック後に大きな「つけ」となってのしかかることになる。この変化はドイツ銀行の バランスシート に顕著に現れている。
コッパー氏の就任前には3000億ユーロ程度だった資産が、それから 15年もしない2007年には、世界最大級の2兆ユーロに急膨張した。
ピークだった2006年のROE(資本が生み出す利益の率)は20%近くに達したが、その利益の7割以上が変動の激しい投資銀行部門からのもので、リスクも急速に増大した。
そして今――。
リストラ費用を考慮すると、今年のドイツ銀の決算は5年連続の赤字となりそうだ。
自己資本が更に減って自己資本比率が規制の基準値に届かなくなる おそれも指摘されている。
そもそも、「ふつうの銀行」に戻るといっても、今のECBのマイナス金利政策のもとでは、銀行の通常業務さえ振るわない。
その上に住宅ローン担保証券の不正販売に始まって、Libor(ロンドン銀行間取引金利)の不正操作、ロシアマネーの違法な資金洗浄に関わっていた疑惑など、相次ぐ不祥事の発覚。巨額の罰金や訴訟費用も まだかかりそうだ。
連鎖しすぎていて潰せない
バランスシートには引き続き巨大なリスクが残る。
ドイツ銀行の開示によれば、2018年末時点で抱えるデリバティブの 想定元本(実際に受け渡しされる キャッシュフロー を計算するための、名目上元本)は43.5兆ユーロ(5000兆円超。ただし、金利や為替デリバティブを除くと2.1兆ユーロ)に上る。
実にドイツGDPの10倍以上だ。
もちろんこれには売り・買い両方のポジションなどが混ざっている ので、それらを相殺した純(ネット)リスクははるかに小さいという見方もできる。
でも、なら安心か、というと、そうではないと思う。
ポジションを相殺できるという想定は、あくまで契約が問題なく実行され、スムーズに決済されるというのが前提だ。
言い換えると、5000兆円という想定元本は、ドイツ銀行がそれだけ 世界中の銀行やノンバンクと取引をしており、世界中に「カウンターパーティー(取引相手)リスク」を引き起こすおそれがあるということだ。
リーマン危機を思い起こせば、その怖さがわかる。
あの時は、世界の金融機関がお互いに短期資金を融通するCP(コマーシャルペーパー、企業の発行する無担保約束手形)やレポ(証券を担保とする短期貸付)というプロ同士の短期市場で、取引相手の信用力を懸念する貸し渋りが起き、市場の資金があっという間に干上がって連鎖倒産リスクを招いた。
リーマン危機でよく聞かれた言葉が、 “TBTF” (Too Big To Fail)「大きすぎて潰せない」だった 。でもAIGなどの救済は、実際には “TCTF” (Too Connected To Fail)「連鎖しすぎていて潰せない 」だったのだ。
世界中の金融機関がドミノ倒しとなることが、最悪のシナリオだったからだ。
ドイツ銀の世界経済との結びつきを考えると、まさにTCTFだろう。
「経済の金融化」と「金融機関のトレーディング化」
ドイツ銀行の迷走は、「ふつう」でなくなった今どきの金融システムの氷山の一角かもしれない。
イギリスのエコノミスト、ジョン・ケイは、その名著『金融に未来はあるか(Other People’s Money)』で、今の経済システムの「金融化」を鋭く指摘している。
例えば、過去数十年間の世界経済と金融産業の成長を比べると、金融だけが突出して成長しているが、その成長がどこから来ているかを 見ると、それは トレード の増加だ。しかも、そのトレードの大部分が、実経済には貢献しない金融機関同士によるものだ。
その中でも伸びているのが上述のデリバティブ。
デリバティブは、株や債券、為替などの価格をもとに作られているが、今やデリバティブ市場は、その元となる資産の数十倍にもなる。
金融市場が実体経済よりはるかに大きくなると、景気が悪くなった から市場がクラッシュするのか、それとも市場がクラッシュするから景気が後退するのか、判然としなくなる。
大きすぎる金融システムは、膨らんだ風船のように危なっかしい。
ガラスバッジ(12)
・どんなに放射線が高くても開校できるようになっていることは、問題ではないか
ガラスバッジ(11)2013/9/20(金) 午後 10:19
ガラスバッジ(10)
ここで ちょっと横道に逸れて、
清算人(1986-1987)(高被曝) : 240000人 → > 100mSv
避難者(1986) : 116000人 → > 33mSv
SCZs(>555 kBq/m2)の住民(1986-2005) : 270000人 → > 50mSv
低汚染地区(37 kBq/m2)の住民(1986-2005) :5000000人 → 10~20mSv
ガラスバッジ(9)
(8) のつづき
しかし、奇妙なことに、
我々が聞かされてきたのは、避難or移住によって不利益を被るのは、
日本政府ではなく、被曝住民たち自身であるということでしたし、
さらに、驚くべきことに、
フクシマの人々自身も 自らそう思っていることです⋆。
⋆ 避難や移住によって健康被害の除去 と 生活再建の保障 (≠賠償!)を
する道義的責任が 国には あるはずであるし、また 国の内外で 再び原発事故
が起きた際の前例を、フクシマの人々自身が作っているという責任もある。
フクシマの人は、広汎な放射能汚染を引き起こすような 従来の国家のあり方を
根本から問い直す役割を、被害の当事者として荷う責務があるのではないか?!
(フクシマとは、福島第一原発事故で 大地が放射能汚染を被った地域に住む人々のこと)
2000年 三宅島の噴火で、全島避難をしたことがありました。
老人も子供 も、漁師も避難し、4年5か月後に 避難は解除されました。
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/knowledge/pdf/miyakejima/02_Chapter.pdf
フクシマでは、行政や マスコミ は、‘帰還したい’という避難区域住民
の声を盛んに喧伝してきましたが、
三宅島の人々は 4年以上にわたり 黙って避難生活を我慢した訳です。
したがって、避難によって 住民が不利益を受けるのは、当然のことで、
そのことが 避難をさせない政策の正当化には、必ずしも なりません。
※ 避難住民の不利益を いかに軽減するか という所にこそ、行政の手腕の見せ所
があるはずなのです。
では、
なぜ、政府は 三宅島は避難させ、フクシマでは 住民を被曝環境に留めた
のか?
――― 三宅島では、火山弾や火砕流、二酸化硫黄など 直接 生命に
かかわる事態が発生し、その被害が 即座に 誰の目にも明らかなため、
行政としては 対応せざるを得なかったのですが、
フクシマの場合は、放射能が五感では捉えられず、また急性障害ではなく、
晩発の傷害であるため、直ちに 健康には影響が出ず、後になって出ても
多くは 目で見ては分かりにくいという事情のため、行政は 対応しがたい
という違いがあります。
ここに 原子力災害の特殊性があるわけですが、
さらに、この度のように、放射能による汚染が 広汎な地域にわたり、
他の自然災害とは比べものにならない程、避難をすべき人数が膨大に
なって、国家を崩壊させかねないという事実があります。
この2つの 極めて特異な原子力災害のあり方に対して、
1. 原発利用による生活上のメリットが たとえ あっても、一旦 激甚な
事故が起きると、その生活そのものが奪われてしまうのであるから、
原発利用自体を放棄しよう。
2. 原発利用による生活上のメリットがあるのだから、いかに デメリット
があろうと、デメリットを克服して メリットは手放すべきではない。
という2つの立場があります。
※ ふつう、1.を選択するのが 人間本来の態度だが、今日 主流の考え方は 2.。
すなわち、今日の我々の考えは、人間本来の考えからは かなり逸脱している。
また、自然災害は なくすことはできないが、原発は 人工物なので放棄可能。
すなわち、原子力災害は 自然災害とは異なって、我々は その災害を根絶する
ことができる。
2.の立場においては、デメリットの克服が課題となります。
一つには、事故を起さない原発を作るとか、事故を起さない社会的な
装置を構築するとか、3.11以前にも 盛んに言われてきたことです。
二つには、デメリットを、できるだけ デメリットではなくすること。
わが国が採用している ICRPの放射線防護体系が、これでしょう。
※ わが国が、ICRPの放射線防護体系を採用することについては、法的な
根拠はありません。放射線防護の専門家集団の主流が ICRPの影響下
にあるために、わが国が これを採用しているわけです。
一については、 いくら事故を起さないような手段を講じても、事故を 0に
することは不可能であるので、二を必要とします。
二については、
デメリットの本体は 放射線の被曝による死亡or健康障害であり、
これから派生してくる 数々の問題群でしょう。
したがって、
まず 被曝をなくすことが一番⋆だが、原子力を利用する限り、被曝は
必ず生ずるので、「被曝による健康影響の評価」と その評価に基づく
「被曝管理」によって、デメリットを少なくする・・・。
今一つは、被曝から派生する問題群の削減です。
⋆ 例えば、被曝労働を 下請け労働者や外国人にさせる
ところで、このデメリットというのは、誰のデメリットなのか?
例えば、原子力事業者にとっては、社員の被曝を少なくするために、
下請け労働に頼っているわけだが、これは 事業者や社員にとっては
デメリットの回避になるが、下請け労働者にとっては 被曝というデメリットを
しょい込むことになる。 即ち、デメリットを 他に付け回しているだけで、
人間社会全体では、 デメリットは 少しも克服されてはいない。
被曝者に死亡or健康影響が出ると、これは 被曝者及び家族のデメリット
であるのは当然だが、一方 事業者は 損害賠償という経費(デメリット)が
生ずる。このために、被曝との因果関係を極小にする論理を構築する等、
被害を少さく評価すること*で デメリットを削減する。
* この論理構築に使われるのが、ICRPの健康影響評価である。
この場合のデメリットは、被曝者 及び家族 と 事業者とでは、明らかに
非対称である。前者のデメリットは取り返しがつかないが、後者は その削減
が可能であるからだ。
また、自らのデメリットを削減するための方法・手段も、前者は 後者とは
比較にならないほど限られたものでしかないところにも、非対称がある。
※ 上には 「事業者」と言っているが、法律の上では 死亡or健康影響
の責任は、事業者にあって、原子力推進を国是としている 「国」には
及ばないようになっている。これも、福島第一のような 大規模な事故
を目の当りにすると、法律上の非対称を痛感させられる。
ICRPの被曝による健康評価で、
事故以来 目立って 我々が聞かされてきたのは、100m㏜/年でした。
100 m㏜以下の被ばく線量では、他の要因による発がんの影響によって
隠れてしまうほど小さいため、放射線による発がんリスクの明らかな増加を
証明することは難しいとされる。
低線量被ばくのリスク管理に関する ワーキンググループ 報告書 - 内閣官房
つまり、
100m㏜/年以下の被曝では 健康への影響は否定できないが、
特定個人に 被曝の影響が出たことを証明することは難しいので、
健康被害が出ても、その賠償は ほぼ できない(しないでよい)
とする思想・ドグマでした。
これが、科学の名を冠して 政府の政策を決定づけたのですが、
まさに、このドグマが、デメリットの極小化に 大変な働きをしているのは、
注目すべきことです。
※ この100m㏜/年のドグマが重しとなって、退避・避難区域 及び学校等の利用
の20m㏜/年が正当化され、本来なら 避難すべき住民を 被曝環境に留めてしまう
ことになったし、除染&帰還政策による イタズラな仮設生活の長期化を結果させて
いるのである。
100m㏜という物理学者好みのキリの良い数字を出していることにも、
何かマガイモノの匂いがしますが、より 詳細に ICRPの体系を見ていくと、
まさに この100m㏜を補強する論理立てになっていることに気付きます。
すなわち、ICRPの防護体系は、「ためにする科学⋆1」ではないか? と・・・。
⋆1 目的がまずあって、その目的に沿うように理論を組み立てていく科学のこと。
たとえば、
ICRPが 100m㏜/年以下の確率的影響として認めているのは、
ガンと白血病、遺伝的影響だけで、他の健康障害⋆2は無視しています。
しかし、被曝を受けた人にとっては、トータルな健康影響が問題な訳です。
⋆2 < ベラルーシ諸地域における非ガン性疾患(1) < (2)
ユーリ・バンダシェフスキー
子供の臓器と臓器系統では、50Bq/kg以上の取りこみによって
相当の病的変化が起きている。しかし、10Bq/kg程度の蓄積でも
様々な身体系統、特に心筋における代謝異常が起きる・・・
10㏃/kgの時 50㏃/kgの時
体重20~35kg :200~350 ㏃/Body 1000~1750 ㏃/Body
50~60kg :500~600 ㏃/Body 2500~3000 ㏃/Body
これは、「 被曝による デメリットは、それを デメリット と認識しなくては、
デメリット とはならない 」というような人間のサガを 巧みに利用して、
デメリットの極小化を図っている一例です。
ガラスバッジ(8)
文科省から安全委事務局に送付された 先の資料⑦の 修正資料⑩ は、
さらに、今後 3~4か月間にわたり継続的なモニタリングを実施することが適当o
(2) 今回のモニタリングにより、3.8μSv/時間未満の空間線量率が測定された学校等
今後、上記学校等における継続的なモニタリングの結果を踏まえ、随時 評価の上 II.で
と、この「暫定的考え方」が わが国の主体的判断である印象を出して、