師の思い出話 他1編

  偶然に生き残った 先師及び師は、 ヒロシマの惨禍を その眼で見た。
何千・何万という 肉の焼け爛れて助けを求め 水を求めて叫びうめく人々や 
川の流れを堰き止めるほどの 死骸を見た。

 

  

私は 昭和20年8月6日、原爆が広島に落ちた日、広島の本部にいた。

それから後、広島市内を 何回も行ったり来たりして、広島師範学校の学生

と共に救護活動をしたのです。

約20日間位いでした。そうすると 8月の終り位に、私も 一緒に行った学生も、

頭の毛が ボロボロ抜け始めましてね、血便が出るようになった。 

それで これではいかんと思って、僕は 一応そこで解散して 皆を帰しました。 

私は しばらく残っていましたが、現在まで生き残っています。

私の友達はかなり死にました。その現場で死んだのではなく、後に白血病その他

を起して死にました。

私は まあ 今の所 もう少し長生きしたいと思っていますが、

私が 今まで生きているのは何故か よく分りません。よく分りませんが、

私は 酒が好きで 大いに飲んだんです。しかし、当時は 酒がなくて。私は

化学の先生をしていましたから、アルコールを 沢山持っていた。

何十缶と持っていた。配給がありましてね。それを調合するわけなんです。

勿論 個人的にするのではない。あれは 一番純粋なのは 100%、

その次に 99.8%、95% とある。それを 25%に薄めて、

色々な物を入れるんです。そして味をつけて 砂糖を少し入れて、

杉の木を削って その中に入れて一週間位おく。そうしたら

いいのが出来るんですよ。

それを学校中に配って、私も学生も一緒に飲むは 飲むは。 

アルコールだけではない。その中に色々なものを入れていますから、

放射線を 随分吸収したと思う。

一番恐いのは、ストロンチウム90です。あれは、脊髄に沈着しますからね。

それを 入った途端飲むから沈着する暇がない。要するに 新陳代謝

それで助かったなぁと思ってね。本当に化学の先生であることに感謝した。(笑)

今は 生活の智慧を発揮して、一日に15種類以上の物を食べて、

できるだけ薄め、できるだけ早く出す。

          ( この話しは、PCBなどが環境中に拡散し、食物連鎖を通じて

    濃縮されて 我々の口に入る事への対処を話題としている文脈

    の中の一部です。)

 

これが 乱世を生きるコツですよ。いらん話しですが、体も大事にしない

といけない。体を離れて仏法はないですから。仏を大医王というように、

体のことを知っておかないといけない。・・・

 

                           

 

 

      👇は、昭和5年(1930)に 住岡夜晃(35歳)によって書かれたものです
   決して 上手な詩とは 言えませんが、意あるところを見てください
                                     ~~~~

山の奥の淋しい里の
うねうね つづく山脈に
秋は 正装の乱舞に笑う

蒸留水のように 澄み切った空気
太陽の 鋭い 朝の光線
私は 軽く 山の道路を歩む

滝山川が 絶壁の下にはう
絶景 絶景、滝がかかる
近代的 新しい道路が、木の間に光る

滝山川水力電気、
すばらしい工事だ
あぁ、この堂々たる大堰堤

コンクリートのお城だ
スイッチ一つで 大鉄板が上がれば、
水は 水道を 静かに下る

わずか 2ヶ所 光を見ただけで、
山又山の底のトンネルを
一里も二里も 下ってゆく

堰堤の上に立てば、
天然と人工の美がもつれて
近代的な絵画が動く

底の知れない 青い青い淵、
それに メダカが 無数に躍る
三尺もある鯉がいさう

眼を上げる、川上の あの景色
舟が 一艘、
木を流す人の 鳶口の音

しかし、この絶景も
いつまでも 私を酔わしてはおかない
電気! 近代文明、

中国山脈の この真っ只中、
「 猿の声か、賤が妻木の斧の音か 」
昔の文句にありそうな この深谷

ここに、たった この間まで
三千人の工夫たちが
昼と夜と 連続で 働いていたのだ


朝鮮人の大群、
工事から工事に渡り歩く 荒くれ男
それらの間に巣食うイカサマ師

工費すべて 三百幾十万円
その金の下に 何が為されたか
里の人から聞く 哀話の数々

一万円の工事を 甲が請け負うと
九千円で 乙組の頭(かしら)が 別けて請け負う
乙は 又、頭をはねて 丙に渡す

丙丁になると 儲けどころか 損がいく
可愛そうなは 鮮人だ
打たれ罵られて 奴隷の如く使われた鮮人だ

支払う金がないとの 一言葉で・・・
命をまとに働いた彼らは・・・
思った俺さえ 涙が下る

一日 わずか一円幾十銭、
それさえ貰えぬ鮮人の
涙が やがて何を生む


道義日本の語り草
無情悪鬼の横行は
彼らに無くて、我にあり

冷たき鞭を ふるいつつ
今日一日の糧のため
逃げも得せで 今日もまた

働く金の 幾割は
飯場の親爺の 青い手に
搾り取られる 情けなさ

大地にあえぐ 大群の
心の闇を せめて 一時(ひととき)でも
晴らすは 酒の香(かおり)なり

暗い地下道に一日を
疲れて帰る 人の子に
食うこと以外に 何の楽しみぞ


岩石 ――― 墜落 ―――
即死!
重傷!

失われた生命は
何によって 償われるのか
何によって 慰められるのか

街の華美なる洋館の
昼のような装飾電灯 (* シャンデリアとルビあり
その裏に 赤い血の犠牲がある


如何なる 時でも 処でも
通う誠に 変わりなし
まことは 久遠の故郷(ふるさと)

今も 神代の手振りある
この里人の まごころは
鮮人にも 通じたろう

異郷に 淋しく流れ歩く
人の情に 敏感な
鮮人たちを 思う時

野菜一束くれてやりゃ
涙流して 礼を言う
尊くも 人の心の底に 火が燃える

鮮人とは 悪魔のように恐れられ
馬鹿者扱いに 卑しめられ
奴隷のごとく 虐げられる

危険な工事や
辛い仕事には
みんな 彼らが使われる


素直(すなお)に働いた その上に
お給金は くれたりくれなんだり
ある日は 食わずに青ざめる

みなを働かした その金を
一人でもって逃げた男、
彼らの中に そんな奴でもあったか

弱きを虐げる無道義の
この暗黒の文明よ
一夜のうちに 灰になれ

今なお続く 道路工事の現場にゆけば
巨岩が 今にも落ちそうな
その真下で働く人たちに 黙礼する

「 地獄です 地獄です
  ドサンと落ちたら それまでだ 」
土方の一人は 私に言うた

きれいな景色も 水の音も
暗い私を 救わない

                       ( 『住岡夜晃全集』第五巻 )