ドイツ銀行大リストラ、いまどきの「銀行と金融」の致命的弱点

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66577    小出 フィッシャー 美奈

   2019 8.19

7月初旬、経営再建の途中にあるドイツ銀行が、投資銀行部門を中心とした1万8000人という大規模なリストラを発表した。かつては「欧州最強」とうたわれ、リスクをとることに慎重だった名門銀行は、いかに変節し、この大きな転換点を迎えたのか。

「ふつうの銀行」に戻るため、1万8000人リストラ

あなたが働くオフィスで、ある朝、2割の同僚が突然解雇を言い渡される場面を想像していただきたい。

ドイツ銀行がフルタイム従業員の2割超に相当する1万8000人の解雇を発表した先月初め、ロンドン でも ニューヨーク でも香港でも、にわかに解雇を告げられた人々が慌ただしく同僚に別れを告げ、次々とオフィスを後にした。

ドアから出てくる人の中には、離職手当の書類が入った封筒を片手に誰かに携帯で連絡する人や、鉢植えを大事そうに持ち帰る人の姿も見られた。

筆者は外資系金融機関に勤めたことがあり、過去に同様の光景を幾度か目にしている。今でもこうしたニュースに接するとチクリとした 痛みが胸を刺す。

ドイツ銀行はこのリストラで、「投資銀行」業務を大幅に縮小し、 本来の金融事業への回帰を目指すという。なぜ今、「ふつうの銀行」に戻ろうとしているのか

 

まず「ふつうの銀行」と「投資銀行」の 違いは何か。その本質的な違いはリスクに対する姿勢だ。

ふつうの銀行」、すなわち商業銀行(コマーシャルバンク)の業務は、預金や送金、融資・貸付などである。

あなたが銀行に預金すると、銀行はそれを第三者に貸し付けたり債券などで運用し、その利回りと支払い利息の差(預貸利ざや)を稼ぐ。

もともと預金者のお金ではあるが、銀行は利子を払ってそのお金を 調達している。

バランスシートの負債として自行の帳簿に載せ、いわば「自分のマネー」として自分でリスクを取って第三者に貸し出したり投資をしているのだ。

このため、まず預金残高を大きく超えるような資金は動かしにくい。

また預金はいつ引き出されるか分からないという比較的短期のお金だが、融資の方は手元に戻ってくるのに時間がかかる比較的長期のお金だという回収期間の差(デュレーションギャップ)のジレンマもある。

こうしたことから、「ふつうの銀行」は、基本的にはリスクに対する意識が高くならざるを得ない。

 

「トレーディング文化」に染まった投資銀行

 

一方、投資銀行の仕事は資金を必要とする顧客の手伝いをすることであり、預金に頼らず資金を動かす。

例えば、企業の債券・株式の発行や販売のサポートなどがそれで、サービスの種類や規模に応じて手数料を稼ぐ。

つまり、本来の投資銀行は資金の需要家と投資家をマッチングさせる仲介業(ブローカー)なのだ。もともと個人向けではないが、証券業でもある。

仲介モデルでは、資金を調達するのは顧客企業で、リスクを取るのは投資家だ。

取り扱うお金は、素通りする「他人のマネー」である。他人のマネーはバランスシートに載せる必要もないし、自分でリスクを取る必要もない。

このもともとの事業モデルの違いが、「ふつうの銀行」に比べると リスクに無頓着になりがちな投資銀行の企業文化の根底にある。

一方で、預金の束縛がない投資銀行の強みは、スケールの大きなマネーを迅速に動かせることだ。

歴史的に欧州の「マーチャントバンク」や米国の「インベストメントバンク」などの投資銀行が台頭したのは、産業革命以降のこと。

鉄道を始めとする ビッグ・プロジェクト が次々と持ち上がり、ちまちました地方銀行の預金を当てにしていたのでは追いつかないような大きな資金需要が生まれた時代と重なる。

でも仲介業者だから、もともと手元に大きな資金はない。どうやって顧客を掴むのかというと、その武器は、情報と頭脳だ。

グローバル投資銀行には金融市場や産業に精通したバンカー達が、 顧客企業に債券や株式の発行やM&A(企業合併・買収)などの アドバイス を行っている。筆者が個人的に出会ったバンカーの顔を思い浮かべても、極めて優秀で仕事のできる人が多い。

しかし、もともと「仲介業」として顧客サービスが基本だったはずの投資銀行は、レーガノミックス による金融緩和と自由化の波が押し寄せた 80年代から変質していく

商業銀行と投資銀行の分離を定めた「グラス・スティーガル法」が 骨抜きになっていくのもこの頃だ。

金融市場が拡大し競争も規制も厳しくなっていく中で、それまでの パートナー経営から株式を公開し、規模を拡大する投資銀行が相次いだ。なかでも新しい金融商品のトレード に強いプレーヤー が大きくなり、 そうでないところは脱落していった。

やがて投資銀行は顧客の取引だけでなく、株式公開などで潤沢になった自己資金で自らのためのトレード(自己勘定取引)を積極的に行うようになり、トレード利益が全社利益の多くを占めるようになる。

スター・トレーダー が生まれ、彼らが社内で発言力を持つにつれ、より大きな利益のためにより大きなリスクを取りに行く「トレーディングの文化」ウォール街で幅を効かせるようになっていった。

それを象徴したのが、80年代の「ジャンク債」だ。

ジャンク、すなわちガラクタと呼ばれたのは、銀行から融資してもらえないような倒産リスクの高い企業が発行する債券だからだ。リスクは高いがその分利回りも高いので、企業の業績がうまく回復すると 大きな投資利益が上がる。

ジャンク債を複数組み合わせて、投信のようなパッケージ商品にして売ることを考案したのが、「ジャンク債の帝王」と呼ばれたドレクセル・バーナムのマイケル・ミルケンだった。

ジャンク債市場は 1986年に400億ドルを超え、その最大の貢献者ミルケンはピークの年に5億5000ドルの報酬を手にする。日本円でざっと600億円という信じ難い額だ。

ジャンク債は、ピケンズやアイカーンなどの「乗っ取り屋」らが大企業に敵対的買収をかけるのに使った手法、LBO(レバレージ・バイアウト=買収者が買収先企業の資産を担保に資金を調達する手法)にも多用され、ドレクセルなどに追加的なビジネスをもたらした。

しかし、ミルケンらの グループは、会社の リスク管理が効かないまま、暴走していく。

その極めつけは、ミルケンらが会社に隠れて自分達だけの共同出資会社を設立していたことだった。

彼らは顧客のための取引から得られる豊富な市場情報をもとに自らに利益を誘導するトレードを行なっていた。顧客も会社も裏切っていたのだ。

それがインサイダー取引でのミルケンの逮捕とドレクセルの崩壊にもつながっていった。

 

ドイツ銀はなぜ変わったのか?

この ギラギラ した 80年代の ウォール街を横目で眺めていたのが、ドイツ銀行だ。

日本でも一般に銀行にはお固いイメージがあるが、ドイツの歴史と ともに国策を支えてきたドイツ銀行は、まさに名門。

もともとは伝統を重んじ、リスクには慎重な銀行だった。経営陣も ドイツ人なら社内もドイツ語で、カルチャーは「純ドメ」だったという。

それがどう変わっていったのかーードイツの有力誌「シュピーゲル」は、その変化を詳細に追跡している。

それによると、行内の グローバル 化推進派だったヒルマール・コッパー氏が頭取になり、94年に「国際的な投資銀行を目指す」と宣言したことが大きな転換点だった。

英米に追いつくための人材が足らず、多額の資金を投じてリソースを買い集めた。

1989年の英国モルガン・グレンフェルドに続き、1998年には全米8位のバンカーズトラストを買収。国際的な投資銀行部門は、メリルリンチから引き抜いたグループが中心となって立ち上げた。

彼ら外来のバンカーたちは、デリバティブ(株や債券などの価格変動を元にした金融派生商品)など最新の金融商品を取り揃えるとともに自己勘定でもトレードを行い、莫大な利益をあげた。

2000年代にはドイツ銀行の デリバティブ 取引額は世界4位に成長し、頭取より高い報酬を手にするスター・トレーダーも現れた。

2002年に外来組のジョセフ・アッカーマン氏が、非ドイツ人(スイス人)として初めて頭取となると、取締役会の合意に基づく従来の経営スタイルから「スターCEO」が権限を握る米国型経営(過去記事<最大5000倍!社長と従業員の「報酬格差 」が止まらないカラクリ>を参照されたい)へと舵を切った。ドイツ銀のウォール街投資銀行への転身が完了したのだ。

しかし、ニューヨークやロンドンのトレーダーが貪欲に利益を追求する間に、フランクフルト本店によるリスク・コントロールは効かなくなっていった。

それはリーマンショック後に大きな「つけ」となってのしかかることになる。この変化はドイツ銀行の バランスシート に顕著に現れている。

コッパー氏の就任前には3000億ユーロ程度だった資産が、それから  15年もしない2007年には、世界最大級の2兆ユーロに急膨張した。

ピークだった2006年のROE(資本が生み出す利益の率)は20%近くに達したが、その利益の7割以上が変動の激しい投資銀行部門からのもので、リスクも急速に増大した。

そして今――。

リストラ費用を考慮すると、今年のドイツ銀の決算は5年連続の赤字となりそうだ。

自己資本が更に減って自己資本比率が規制の基準値に届かなくなる おそれも指摘されている。

そもそも、「ふつうの銀行」に戻るといっても、今のECBのマイナス金利政策のもとでは、銀行の通常業務さえ振るわない。

その上に住宅ローン担保証券の不正販売に始まって、Liborロンドン銀行間取引金利)の不正操作、ロシアマネーの違法な資金洗浄に関わっていた疑惑など、相次ぐ不祥事の発覚。巨額の罰金や訴訟費用も まだかかりそうだ。

 

連鎖しすぎていて潰せない

バランスシートには引き続き巨大なリスクが残る。

ドイツ銀行の開示によれば、2018年末時点で抱えるデリバティブの 想定元本(実際に受け渡しされる キャッシュフロー を計算するための、名目上元本)は43.5兆ユーロ(5000兆円超。ただし、金利や為替デリバティブを除くと2.1兆ユーロ)に上る。

実にドイツGDPの10倍以上だ。

もちろんこれには売り・買い両方のポジションなどが混ざっている ので、それらを相殺した純(ネット)リスクははるかに小さいという見方もできる。

でも、なら安心か、というと、そうではないと思う。

ポジションを相殺できるという想定は、あくまで契約が問題なく実行され、スムーズに決済されるというのが前提だ。

言い換えると、5000兆円という想定元本は、ドイツ銀行がそれだけ 世界中の銀行やノンバンクと取引をしており、世界中に「カウンターパーティー(取引相手)リスク」を引き起こすおそれがあるということだ。

リーマン危機を思い起こせば、その怖さがわかる。

あの時は、世界の金融機関がお互いに短期資金を融通するCP(コマーシャルペーパー、企業の発行する無担保約束手形)やレポ(証券を担保とする短期貸付)というプロ同士の短期市場で、取引相手の信用力を懸念する貸し渋りが起き、市場の資金があっという間に干上がって連鎖倒産リスクを招いた。

リーマン危機でよく聞かれた言葉が、 “TBTF” (Too Big To Fail)「大きすぎて潰せない」だった 。でもAIGなどの救済は、実際には  “TCTF” (Too Connected To Fail)「連鎖しすぎていて潰せない 」だったのだ。

世界中の金融機関がドミノ倒しとなることが、最悪のシナリオだったからだ。

ドイツ銀の世界経済との結びつきを考えると、まさにTCTFだろう。

 

「経済の金融化」と「金融機関のトレーディング化」

 

ドイツ銀行の迷走は、「ふつう」でなくなった今どきの金融システムの氷山の一角かもしれない。

イギリスのエコノミスト、ジョン・ケイは、その名著『金融に未来はあるか(Other People’s Money)』で、今の経済システムの「金融化」を鋭く指摘している。

例えば、過去数十年間の世界経済と金融産業の成長を比べると、金融だけが突出して成長しているが、その成長がどこから来ているかを 見ると、それは トレード の増加だ。しかも、そのトレードの大部分が、実経済には貢献しない金融機関同士によるものだ。

その中でも伸びているのが上述のデリバティブ

デリバティブは、株や債券、為替などの価格をもとに作られているが、今やデリバティブ市場は、その元となる資産の数十倍にもなる。

金融市場が実体経済よりはるかに大きくなると、景気が悪くなった から市場がクラッシュするのか、それとも市場がクラッシュするから景気が後退するのか、判然としなくなる。

大きすぎる金融システムは、膨らんだ風船のように危なっかしい。